無難に機能だけ求めても…我々が「価値」を感じたモノ

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価値を認める とは

価値を認める。それはコストをかけてきたもの と言い換えられるのではないか。ここでいうコストは単純にお金だけではない。リスク・時間・手間暇… とにかくそのために何かを費やす。いわば人を行動に駆り立てたモノを価値があったものと見做して話しをすすめる

どんなものに価値を認めてきたか①

岩野原遺跡(新潟県)出土 火焔土器

ある人はお掃除マシーンに数万円のコストをかける。
ある会社は外部からヘッドハンティングしてきた人材に数千万のコストをかける。
これらはいずれもその対象に高い価値を認めている例といえるだろう。そしてこの場合は、それらが果たす機能(時間節約&お部屋キレイ、会社にもたらす業績アップ)に価値を見出していると思われる。

しかし である

縄文時代。。。実に奇妙奇天烈な道具その名も、縄文土器なるものが流行した(画像)。
誰がこれを見て「わーこれでお料理のレパートリー増えそう♡」「これで家事の時間がカットできるわ!」と思うだろうか。思ったとしたらその人の家事を一日見学させて頂きたい。つまりは機能面重視ならこの土器の価値は極めて低くなるはず。ところが我々の祖先はこれに大きな価値を認めてきた


 基本的にこの様式の土器は東日本中心に作成されたものなのだが、九州国立博物館でこのタイプの土器をみたことがある。つまりは交通手段もろくにない時代、はるか北陸や東北で作成されたこの器を持ち運び、地元で作成。それはとてつもないコストだっただろう。

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